とある島に群生している謎のキノコ。
これを食べた者は、体がキノコとなり、
最終的に異形のキノコ人間と化す。
それ以外は普通のキノコと変わらず、薬品や火、光に弱い。
太西洋のヨット旅行に出た一行。城東大の助教授である村井、
その教え子で恋人の明子、笠井産業社長の笠井、
その社員でヨットのベテラン佐田、笠井の愛人で歌手の麻美、
若い推理作家の吉田、漁師の息子で臨時雇いの仙造らは、
航海中猛烈な暴風雨に遭遇した。マストは折れ、舵ははずれ、
無電も使用不能となり、暴風雨がやんでも
ただ南へ南へと流されるばかり、水も食糧もなくなった。
七人はぐったりとなったまま死を待つほかはない。
そのとき、深い霧の中に島影が見えた。
一同は狂喜して上陸したが、絶えず白い霧が流れる不気味な無人島だ。
人間の足跡らしいものを辿って、一行がキノコだらけの密林を抜けると、
そこの海岸に一隻の難波船があった。人間はおらず死体もない。
わずかながらカン詰が残っていた。核実験の海洋調査船らしい。
航海日誌には、MATANGOと謎めいた横文字が記されていた。
やがてカン詰も食いつくし、一同は食物を求めて奔走した。
そんな彼らの前に謎の怪人物が襲い掛かり、何とか撃退する一行。
翌朝、昨晩のことは全て幻覚だと思い込もうとした。
しかし船の外には、森から続く足跡が残っていた。
食糧のない状況と謎の怪人の出現により不穏な空気に包まれる船。
それに呼応するように一行の人間関係は悪くなり、いがみ合うようになる。
仙造は砂浜で海亀の卵を見つけて、それを独り占めにして笠井に売りつける。
遂には吉田が密林のキノコに手を出し、自棄になって仲間の皆殺しを企てる。
そして佐田は仲間を放って、修理したヨットで島を去る。
なんとか吉田と、彼と共謀した麻美を船から追い出す三人。
笠井は神経衰弱し、村井と明子は食糧を探そうと出かける。
そこへ追い出された麻美が現れ、キノコは安全だと密林へと笠井を誘う。
笠井もついにキノコを口にし、気持ちの良い幻覚を見る。
「このキノコを食べると、いつかキノコになる」ことを告げる麻美。
半分キノコ化した吉田がそれを証明していた。
笠井は逃げ出そうとするがキノコたちに囲まれてしまう。
その頃、船に戻ってきた村井と明子の前に、
逃げた佐田が乗っていたヨットが戻ってくる。
結局、佐田は日本に戻ることができず身を投げたようだ。
二人だけになってしまった村井と明子はお互いを励まし合う。
そこへキノコ人間が現れ、明子がさらわれてしまう。
村井は一人、キノコにより魔境と化した密林へと向かう。
だが彼の懸命の努力の甲斐なく、すでに明子はキノコを口にしていた。
キノコになりかけている仲間を尻目に、逃げ出した村井は
なんとかヨットに乗ると、島を脱出することに成功した。
ここまでのことを精神病院に収容された村井は医師たちに語る。
「自分はキノコを食べていない」と言う村井。
しかし、その顔にはなんともいえない不気味な出来物が…
人間の性である欲望、映画「マタンゴ」は
それを浮き彫りにし、さらに鑑賞者をキノコ恐怖症に陥らせる。
ブツブツとした外観、奇声、雨の中成長する姿は
非常にグロテスクである。
今観ると、このマタンゴ自体はこれといって怖くはないが
強欲、身勝手、現実逃避といったエゴが剥き出しになる
サバイバル映画ならではの人間の業、
そんな最悪な人間の一部どころかキノコになって全てを奪われる、
人間としての自己を失う恐怖がある。
これが現代でも通じる故に、名作の一つとして数えられるのだろう。
村井の顔に出来物が出来ていたのは、彼も密かにキノコを食べていたとも
キノコの胞子の所為でああなったとも、ただの出来物とも言われているが
製作者側によれば「やはり彼も食べてしまっていたのだろう」らしい…
ちなみにこの映画は海外にも影響を与えており、
幼少時に観たスティーヴン・ソダーバーグ監督はキノコ嫌いになり、
ボンクラ映画監督ジョン・デ・ベロはTVでこれを観ており、
(果たしてそれがTV用にカットされまくったため
超ド級駄作に成り下がったためなのかどうかはわからない)
これ以上のバカらしい映画を作ろうと
「アタック・オブ・ザ・キラートマト」を作った。
(マタンゴの英題は『THE ATTACK OF THE MUSHROOM PEOPLE』
原語のかけらもない、なんとも酷いタイトルである)
何にしても、これを元に世にもあんまりなクズ映画(褒め言葉)を
作ったデ・ベロ監督の異才には驚きである。
その教え子で恋人の明子、笠井産業社長の笠井、
その社員でヨットのベテラン佐田、笠井の愛人で歌手の麻美、
若い推理作家の吉田、漁師の息子で臨時雇いの仙造らは、
航海中猛烈な暴風雨に遭遇した。マストは折れ、舵ははずれ、
無電も使用不能となり、暴風雨がやんでも
ただ南へ南へと流されるばかり、水も食糧もなくなった。
七人はぐったりとなったまま死を待つほかはない。
そのとき、深い霧の中に島影が見えた。
一同は狂喜して上陸したが、絶えず白い霧が流れる不気味な無人島だ。
人間の足跡らしいものを辿って、一行がキノコだらけの密林を抜けると、
そこの海岸に一隻の難波船があった。人間はおらず死体もない。
わずかながらカン詰が残っていた。核実験の海洋調査船らしい。
航海日誌には、MATANGOと謎めいた横文字が記されていた。
やがてカン詰も食いつくし、一同は食物を求めて奔走した。
そんな彼らの前に謎の怪人物が襲い掛かり、何とか撃退する一行。
翌朝、昨晩のことは全て幻覚だと思い込もうとした。
しかし船の外には、森から続く足跡が残っていた。
食糧のない状況と謎の怪人の出現により不穏な空気に包まれる船。
それに呼応するように一行の人間関係は悪くなり、いがみ合うようになる。
仙造は砂浜で海亀の卵を見つけて、それを独り占めにして笠井に売りつける。
遂には吉田が密林のキノコに手を出し、自棄になって仲間の皆殺しを企てる。
そして佐田は仲間を放って、修理したヨットで島を去る。
なんとか吉田と、彼と共謀した麻美を船から追い出す三人。
笠井は神経衰弱し、村井と明子は食糧を探そうと出かける。
そこへ追い出された麻美が現れ、キノコは安全だと密林へと笠井を誘う。
笠井もついにキノコを口にし、気持ちの良い幻覚を見る。
「このキノコを食べると、いつかキノコになる」ことを告げる麻美。
半分キノコ化した吉田がそれを証明していた。
笠井は逃げ出そうとするがキノコたちに囲まれてしまう。
その頃、船に戻ってきた村井と明子の前に、
逃げた佐田が乗っていたヨットが戻ってくる。
結局、佐田は日本に戻ることができず身を投げたようだ。
二人だけになってしまった村井と明子はお互いを励まし合う。
そこへキノコ人間が現れ、明子がさらわれてしまう。
村井は一人、キノコにより魔境と化した密林へと向かう。
だが彼の懸命の努力の甲斐なく、すでに明子はキノコを口にしていた。
キノコになりかけている仲間を尻目に、逃げ出した村井は
なんとかヨットに乗ると、島を脱出することに成功した。
ここまでのことを精神病院に収容された村井は医師たちに語る。
「自分はキノコを食べていない」と言う村井。
しかし、その顔にはなんともいえない不気味な出来物が…
人間の性である欲望、映画「マタンゴ」は
それを浮き彫りにし、さらに鑑賞者をキノコ恐怖症に陥らせる。
ブツブツとした外観、奇声、雨の中成長する姿は
非常にグロテスクである。
今観ると、このマタンゴ自体はこれといって怖くはないが
強欲、身勝手、現実逃避といったエゴが剥き出しになる
サバイバル映画ならではの人間の業、
そんな最悪な人間の一部どころかキノコになって全てを奪われる、
人間としての自己を失う恐怖がある。
これが現代でも通じる故に、名作の一つとして数えられるのだろう。
村井の顔に出来物が出来ていたのは、彼も密かにキノコを食べていたとも
キノコの胞子の所為でああなったとも、ただの出来物とも言われているが
製作者側によれば「やはり彼も食べてしまっていたのだろう」らしい…
ちなみにこの映画は海外にも影響を与えており、
幼少時に観たスティーヴン・ソダーバーグ監督はキノコ嫌いになり、
ボンクラ映画監督ジョン・デ・ベロはTVでこれを観ており、
(果たしてそれがTV用にカットされまくったため
超ド級駄作に成り下がったためなのかどうかはわからない)
これ以上のバカらしい映画を作ろうと
「アタック・オブ・ザ・キラートマト」を作った。
(マタンゴの英題は『THE ATTACK OF THE MUSHROOM PEOPLE』
原語のかけらもない、なんとも酷いタイトルである)
何にしても、これを元に世にもあんまりなクズ映画(褒め言葉)を
作ったデ・ベロ監督の異才には驚きである。
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