陰鬱な雰囲気を持つ青年。非公式のパート警察官・内務省警察局鎌倉市警察署属員を名乗り、
白銀の劔冑・通称「銀星号」が行う虐殺事件を調査している。
漂う雰囲気の暗さは、初対面の相手ならばあまりの陰鬱さに「暗黒星人」とあだ名されるほど。
しかしその雰囲気とは反して、生真面目でおおらかな青年。
少々天然なところがあり、会話中に相手を脱力させることが多い。
拘置所に収監されている囚人であり、容疑は殺人罪十二件うち一件は尊属殺人。
その正体は殺戮者「銀星号」となった義妹である湊斗光を討つべく紅の劔冑・村正を纏って、
親王の後援の下、虐殺事件の裏で暗躍している。自分は死ぬべき人間だと考えており、
銀星号討伐の暁にはその罪の元に処刑されることを望んでいる。
その理由は彼の持つ劔冑、千子右衛門尉村正は呪われた妖甲と名高いもののひとつであり、
敵一人殺したならば味方一人殺さねばならない「善悪相殺」の呪いを持っているため。
かつて養母を守るために、養母を殺し、銀星号によって力を与えられた悪逆を働く代官や
連続殺人犯をもその刃で断ち斬る度に、無辜の人々の血に染まる自分を悪鬼と自嘲し、悩み苦しみながら戦い続ける。
戦闘能力は高く、免状には至っていないが「吉野御流合戦礼法」を修めている。
しかし天才の域ではなく、格上には策を弄して勝利することを狙う。
当初村正とはお互いに利害の一致あって、行動を共にしていたが、
いつしか心が通じ合い、相棒と呼べる存在になっていく。
「鬼に逢うては鬼を斬る、仏に逢うては仏を斬る。ツルギの理、ここにあり」
「例え汚物に満ちた街であっても、屑を一つ一つ拾う行為が意味を失うことはない」
「本当に善良なら、最初から人を殺したりはしないのだ!
殺しておいてから流す涙など、最も醜悪な偽善に過ぎん!
人を殺すことは悪業であり、悪業を為す者は悪鬼なのだ!
俺は悪鬼なのだ!」
「武道とは何か……?そんなことを俺に訊くのか……どう答えて欲しいのだ?
正義をかざし悪を討つ刃か、力なき者を守る盾か。クッ……クックックックックッ……
武道が何かを知りたければ、剣でも槍でも好きな道具を持って来るがいい
武道を云々するくらいなら、何か使える得物があるだろう?
それを自分でも他人でも好きな奴に叩き込んでみることだ
どうなる?何が起こる?そうだそれが答えだ!それが全てだ!!それが武道だ!!!
そんなものを振りかざして正義?守る?平和?
クククフフフハハハハ!!この世を平和にしたいなら武道が消えてなくなればいい!!
あらゆる武器あらゆる武人が、剣も槍も鉄砲火器も、貴様も俺も!! 」
――これは英雄の物語ではない。英雄を志す者は無用である。
なんとも重い言葉がキーワードな、そんな18禁ゲーム「装甲悪鬼村正」。
この物語の主人公であり、そして悪鬼。それが湊斗景明である。
悪を殺せば、善を殺し、善を殺せば、悪を殺す。その存在は悪ではない、あくまで悪鬼なのである。
物語は義妹を殺すべく、多くの善と悪を殺しながら邁進していく彼の姿を描いたもので
彼の人物像はかなり独特な性癖と多趣味な部分を除けば、優しい好青年といったところ。
自分が行う殺人を「仕方ない」といって割り切ることはせず、
あくまで自分が殺したかった、必要だったから殺したと言い続ける。
その心は殺した人々の命が無駄ではないということの証明であり、
そのために死ぬわけにはいかないと考えてはいるが、
我が身可哀さで死のうとせず、殺すのをやめない自分を許せないという気持ちから
いつか自分を裁く人が現れることを心の支えにしている。
これ以降の話はネタバレすると面白くないので控えるが、各エンディング、後のファンディスクや
外伝作品を考えると、ひたすらに邪悪として、悪鬼としての人生を全うしようとする姿は
ありのままを受け入れて血道をあげているわけではなく、その人柄、優しさ故の行動なんだと、そう思いたい。
ちなみに筆者は彼の劔冑を纏う際の口上で「柳生一族の陰謀」を思い出し、非常に懐かしい気分になった。
その正体は殺戮者「銀星号」となった義妹である湊斗光を討つべく紅の劔冑・村正を纏って、
親王の後援の下、虐殺事件の裏で暗躍している。自分は死ぬべき人間だと考えており、
銀星号討伐の暁にはその罪の元に処刑されることを望んでいる。
その理由は彼の持つ劔冑、千子右衛門尉村正は呪われた妖甲と名高いもののひとつであり、
敵一人殺したならば味方一人殺さねばならない「善悪相殺」の呪いを持っているため。
かつて養母を守るために、養母を殺し、銀星号によって力を与えられた悪逆を働く代官や
連続殺人犯をもその刃で断ち斬る度に、無辜の人々の血に染まる自分を悪鬼と自嘲し、悩み苦しみながら戦い続ける。
戦闘能力は高く、免状には至っていないが「吉野御流合戦礼法」を修めている。
しかし天才の域ではなく、格上には策を弄して勝利することを狙う。
当初村正とはお互いに利害の一致あって、行動を共にしていたが、
いつしか心が通じ合い、相棒と呼べる存在になっていく。
「鬼に逢うては鬼を斬る、仏に逢うては仏を斬る。ツルギの理、ここにあり」
「例え汚物に満ちた街であっても、屑を一つ一つ拾う行為が意味を失うことはない」
「本当に善良なら、最初から人を殺したりはしないのだ!
殺しておいてから流す涙など、最も醜悪な偽善に過ぎん!
人を殺すことは悪業であり、悪業を為す者は悪鬼なのだ!
俺は悪鬼なのだ!」
「武道とは何か……?そんなことを俺に訊くのか……どう答えて欲しいのだ?
正義をかざし悪を討つ刃か、力なき者を守る盾か。クッ……クックックックックッ……
武道が何かを知りたければ、剣でも槍でも好きな道具を持って来るがいい
武道を云々するくらいなら、何か使える得物があるだろう?
それを自分でも他人でも好きな奴に叩き込んでみることだ
どうなる?何が起こる?そうだそれが答えだ!それが全てだ!!それが武道だ!!!
そんなものを振りかざして正義?守る?平和?
クククフフフハハハハ!!この世を平和にしたいなら武道が消えてなくなればいい!!
あらゆる武器あらゆる武人が、剣も槍も鉄砲火器も、貴様も俺も!! 」
――これは英雄の物語ではない。英雄を志す者は無用である。
なんとも重い言葉がキーワードな、そんな18禁ゲーム「装甲悪鬼村正」。
この物語の主人公であり、そして悪鬼。それが湊斗景明である。
悪を殺せば、善を殺し、善を殺せば、悪を殺す。その存在は悪ではない、あくまで悪鬼なのである。
物語は義妹を殺すべく、多くの善と悪を殺しながら邁進していく彼の姿を描いたもので
彼の人物像はかなり独特な性癖と多趣味な部分を除けば、優しい好青年といったところ。
自分が行う殺人を「仕方ない」といって割り切ることはせず、
あくまで自分が殺したかった、必要だったから殺したと言い続ける。
その心は殺した人々の命が無駄ではないということの証明であり、
そのために死ぬわけにはいかないと考えてはいるが、
我が身可哀さで死のうとせず、殺すのをやめない自分を許せないという気持ちから
いつか自分を裁く人が現れることを心の支えにしている。
これ以降の話はネタバレすると面白くないので控えるが、各エンディング、後のファンディスクや
外伝作品を考えると、ひたすらに邪悪として、悪鬼としての人生を全うしようとする姿は
ありのままを受け入れて血道をあげているわけではなく、その人柄、優しさ故の行動なんだと、そう思いたい。
ちなみに筆者は彼の劔冑を纏う際の口上で「柳生一族の陰謀」を思い出し、非常に懐かしい気分になった。
2 件のコメント:
関係ないコメしてもうしわけないのですが、実況プレイはもうしないんですか?
今のフェイスさんの実況がみてみたいです
あなたは大きな勘違いをしています
私はフェイス氏ではありません
フェイス氏にご用件があれば
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