小説、映画「狩人の夜」に登場。
両手の指に「LOVE(愛)」と「HATE(憎悪)」の入れ墨を持つ伝道師。
説教をする際には、その入れ墨を使って「善と悪」「愛と憎しみ」の闘争を説く。
その正体は未亡人ばかりを狙う連続殺人鬼。彼はセックスに対し異常ともいえる嫌悪を抱いており、
神の正義の名の下に未亡人たちを殺害し、その金を奪うという凶悪犯罪を繰り返していた。
1930年代、大恐慌の時代。オハイオ川沿岸のクリーサップ埠頭に住むベン・ハーパーは、
生活苦から強盗殺人を犯した。警察から逃れて家族の元に辿り着いたベンは、
強奪した1万ドルの在り処を息子のジョンと娘のパールに告げる。
その直後、ベンは警察に逮捕された。最終的にベンは強盗殺人の罪で死刑判決を受け、
刑務所に送られる。ちょうどその頃、車を盗難した罪でベンと同じ雑居房に収容された
伝道師ハリーはベンから盗んだ大金の在り処を聞き出そうとする。
その後、ジョンの寝言である「小さい子供がそれらを導く」という言葉から、
ベンの子供たちが何か知っているのではないかと推測する。
結局ベンは誰にも大金の在り処を告げることなく処刑された。
すぐに釈放されたハリーは、真っ先にベンの家族が住むクリーサップの街を訪れる。
ハーパー家には未亡人となったウィラと、その子供であるジョンとパールが残されていた。
夫が逮捕され、地元のアイスクリーム屋で働いて生計を立てるようになったウィラに対し、
ハリーは自らの素性を偽って接近する。ハリーはその話術でクリーサップの住民の信頼を勝ち取り、
ウィラと再婚する。しかしそんな伝道師に対し、ジョンだけは警戒し続けた。
新婚初夜、夫となったハリーに抱かれようとするウィラを、ハリーは頑なに拒絶する。
二人の間の結婚生活は、ハリーの常軌を逸した道徳観念に縛られた空虚なものだった。
新しく子供たちの父親になったハリーは、ウィラの見ていない隙に彼らを脅迫し、
ベンが隠した大金の在り処を聞き出そうとする。ハリーの隠された動機を
皆に告げるジョンだが、ハリーに心酔する大人たちは彼の言うことに耳を貸そうとしない。
そんな或る日、パールを苛めて隠し場所を言わせようとするハリーの姿をウィラが目撃する。
その夜、真実を知ったウィラは寝室でハリーに殺害される。
周囲の人々にウィラが失踪したと告げ同情を買うハリーは、
ますます子供たちを虐待するようになる。虐待に耐えかねて、ついにジョンは
亡父が遺した大金の在り処を告げる。大金はパールが肌身離さず持ち歩いていた
人形に隠されていたのだ。子供たちを殺害しようとするハリーに対し、
ジョンは一瞬の隙を突いてパールを連れて逃走することに成功する。
カヌーで大河を下っていく二人を追跡するハリー。兄妹が逃げることに心身共に疲れきった頃、
二人は信心深い老婦人レイチェルに保護される。彼女の元にはジョンとパール以外にも、
行き場を失った多くの子供たちが身を寄せていた。やがてレイチェルの所に子供たちの
居場所を嗅ぎつけたハリーが現れる。ハリーはレイチェルに得意の刺青を用いた
説教を行い歓心を買おうとするが、洞察力に優れたレイチェルによってその邪悪な本性を見抜かれる。
猟銃を持ち出し追い返そうとするレイチェルを見て、ハリーは一度退散する。
その夜、レイチェルの家の庭に子供たちを捕まえるため、ハリーが再び姿を見せる。
子供たちを守るためにベランダで寝ずの番をするレイチェルと、
彼女を遠くから用心深く観察するハリー。二人は庭を挟んで聖歌503番「主の御手に頼る日は」を唱和する。
歌が終わる頃、レイチェルを心配した娘の一人が蝋燭を持って彼女の側に近づいてくる。
不意の明かりで目が眩んだレイチェルは、闇に紛れたハリーを見失ってしまう。
家の中に戻ったレイチェルは居間に子供たちを集め、来るべきハリーの来襲に備える。
そこに現れたハリーは、ジョンとパールを引き渡すようにレイチェルを脅迫する。
しかしレイチェルはハリーの要求を拒絶し、彼に対して発砲する。
獣のような叫び声を上げ、負傷したハリーはレイチェルの家から逃走する。
レイチェルはすぐに警察に連絡し、逃げ出したハリーを捕まえるように要請する。
翌朝現場に駆けつけた警官たちによって、納屋に潜んでいたハリーが逮捕された。
逮捕されるハリーの姿に、ジョンの心で亡き父の姿が重なる。
パールの人形を持って、ハリーと彼を確保した警官たちに詰め寄る。
「こんなもの要らない」と涙を流しながら、ジョンは人形をハリーに叩きつける。
周囲に舞い散る1万ドルの札束。裕福な生活よりも愛情を求めていたジョンにとって、
金への欲望からその身を貶めた父や、殺人をするハリーの行動は許容し難く、
ましてやその金によって今回の事件が起きたのであり、そんな彼らに感情が爆発したのだ。
そんなジョンをレイチェルは優しく宥める。その後、ハリーは裁判所で複数の殺人罪で
有罪判決を受け、街を去った。ジョンとパールはレイチェルの下で過去を振り払うべく
幸せな生活へとその一歩を踏み出すのであった・・・
モノクロの画面に映し出されるのんびりした田舎の風景、
月明かりの下、追手から逃げる兄妹。虫や小動物の声が響く中、
月を背後に従えながら、狂気の伝道師が迫る。
映画「狩人の夜」はサスペンス映画ながら、日常的風景の中に幻想的な映像と寓話が混じった
独特な作風が特徴であり、またこの伝道師の男も独特である。
ただの悪人ならまだしも、歪んだ執着とそれを隠す知恵を持ち、
善人のフリをしながら、他者の日常に溶け込んでいく。
そして何よりも彼自身の内面、生い立ちは明かされない。
何がそこまで女性への憎しみを駆り立てるのか、全く分からないのだ。
この牧師の皮を被った正体不明の男は、金への即物的欲から兄妹を追いかけてくるのだが、
その顔には覇気がなく空虚な表情を浮かべており、本当に金が欲しいのか疑いたくなってくる。
狂気と欲を合わせ持つサイコな殺人鬼にしては些か説明不足、中途半端な具合だが、
しかし劇中のいくつかのシーンを見ていくうちに、この中途半端がなんなのかわかってくる。
つまるところ男の存在は現実の子どもたちにとっての恐怖の象徴をしているのだ。
夜、子ども部屋に迫る大きな影。これを少年ジョンは「ただの人だ」という。
逃亡した先の納屋に現れたハリーを見てジョンは「あいつは寝ないんだ」という。
影のシーンは空想の恐怖を打ち消すように「あれは○○だ」と考えようとするのは
現実の子どももよくやることでしょう(少なくとも筆者はそうだった)
そして納屋のシーンは、ただの人間であるはずの牧師が一転して、怪物染みて見える。
現実の恐怖が空想の恐怖へと切り替わっているのだ。これは子どもでなくても、
見慣れているはずの場所が夜になるとまるで違う場所に見えるのと同じこと。
目に見えるものと目に見えないもの、現実と空想の狭間に、子どもは恐怖を見出す。
この中途半端さが、この男を怪物的存在へと変えているのだ。
彼以降ではないだろうか、得体の知れない悪党が出始めたのは。
もちろん後のサスペンス映画に与えた影響は大きく、彼を演じたロバート・ミッチャムは
「恐怖の岬」にて、インスパイアされたと思しき「正義と真実」の刺青を持つ男を演じました。
刑務所に送られる。ちょうどその頃、車を盗難した罪でベンと同じ雑居房に収容された
伝道師ハリーはベンから盗んだ大金の在り処を聞き出そうとする。
その後、ジョンの寝言である「小さい子供がそれらを導く」という言葉から、
ベンの子供たちが何か知っているのではないかと推測する。
結局ベンは誰にも大金の在り処を告げることなく処刑された。
すぐに釈放されたハリーは、真っ先にベンの家族が住むクリーサップの街を訪れる。
ハーパー家には未亡人となったウィラと、その子供であるジョンとパールが残されていた。
夫が逮捕され、地元のアイスクリーム屋で働いて生計を立てるようになったウィラに対し、
ハリーは自らの素性を偽って接近する。ハリーはその話術でクリーサップの住民の信頼を勝ち取り、
ウィラと再婚する。しかしそんな伝道師に対し、ジョンだけは警戒し続けた。
新婚初夜、夫となったハリーに抱かれようとするウィラを、ハリーは頑なに拒絶する。
二人の間の結婚生活は、ハリーの常軌を逸した道徳観念に縛られた空虚なものだった。
新しく子供たちの父親になったハリーは、ウィラの見ていない隙に彼らを脅迫し、
ベンが隠した大金の在り処を聞き出そうとする。ハリーの隠された動機を
皆に告げるジョンだが、ハリーに心酔する大人たちは彼の言うことに耳を貸そうとしない。
そんな或る日、パールを苛めて隠し場所を言わせようとするハリーの姿をウィラが目撃する。
その夜、真実を知ったウィラは寝室でハリーに殺害される。
周囲の人々にウィラが失踪したと告げ同情を買うハリーは、
ますます子供たちを虐待するようになる。虐待に耐えかねて、ついにジョンは
亡父が遺した大金の在り処を告げる。大金はパールが肌身離さず持ち歩いていた
人形に隠されていたのだ。子供たちを殺害しようとするハリーに対し、
ジョンは一瞬の隙を突いてパールを連れて逃走することに成功する。
カヌーで大河を下っていく二人を追跡するハリー。兄妹が逃げることに心身共に疲れきった頃、
二人は信心深い老婦人レイチェルに保護される。彼女の元にはジョンとパール以外にも、
行き場を失った多くの子供たちが身を寄せていた。やがてレイチェルの所に子供たちの
居場所を嗅ぎつけたハリーが現れる。ハリーはレイチェルに得意の刺青を用いた
説教を行い歓心を買おうとするが、洞察力に優れたレイチェルによってその邪悪な本性を見抜かれる。
猟銃を持ち出し追い返そうとするレイチェルを見て、ハリーは一度退散する。
その夜、レイチェルの家の庭に子供たちを捕まえるため、ハリーが再び姿を見せる。
子供たちを守るためにベランダで寝ずの番をするレイチェルと、
彼女を遠くから用心深く観察するハリー。二人は庭を挟んで聖歌503番「主の御手に頼る日は」を唱和する。
歌が終わる頃、レイチェルを心配した娘の一人が蝋燭を持って彼女の側に近づいてくる。
不意の明かりで目が眩んだレイチェルは、闇に紛れたハリーを見失ってしまう。
家の中に戻ったレイチェルは居間に子供たちを集め、来るべきハリーの来襲に備える。
そこに現れたハリーは、ジョンとパールを引き渡すようにレイチェルを脅迫する。
しかしレイチェルはハリーの要求を拒絶し、彼に対して発砲する。
獣のような叫び声を上げ、負傷したハリーはレイチェルの家から逃走する。
レイチェルはすぐに警察に連絡し、逃げ出したハリーを捕まえるように要請する。
翌朝現場に駆けつけた警官たちによって、納屋に潜んでいたハリーが逮捕された。
逮捕されるハリーの姿に、ジョンの心で亡き父の姿が重なる。
パールの人形を持って、ハリーと彼を確保した警官たちに詰め寄る。
「こんなもの要らない」と涙を流しながら、ジョンは人形をハリーに叩きつける。
周囲に舞い散る1万ドルの札束。裕福な生活よりも愛情を求めていたジョンにとって、
金への欲望からその身を貶めた父や、殺人をするハリーの行動は許容し難く、
ましてやその金によって今回の事件が起きたのであり、そんな彼らに感情が爆発したのだ。
そんなジョンをレイチェルは優しく宥める。その後、ハリーは裁判所で複数の殺人罪で
有罪判決を受け、街を去った。ジョンとパールはレイチェルの下で過去を振り払うべく
幸せな生活へとその一歩を踏み出すのであった・・・
モノクロの画面に映し出されるのんびりした田舎の風景、
月明かりの下、追手から逃げる兄妹。虫や小動物の声が響く中、
月を背後に従えながら、狂気の伝道師が迫る。
映画「狩人の夜」はサスペンス映画ながら、日常的風景の中に幻想的な映像と寓話が混じった
独特な作風が特徴であり、またこの伝道師の男も独特である。
ただの悪人ならまだしも、歪んだ執着とそれを隠す知恵を持ち、
善人のフリをしながら、他者の日常に溶け込んでいく。
そして何よりも彼自身の内面、生い立ちは明かされない。
何がそこまで女性への憎しみを駆り立てるのか、全く分からないのだ。
この牧師の皮を被った正体不明の男は、金への即物的欲から兄妹を追いかけてくるのだが、
その顔には覇気がなく空虚な表情を浮かべており、本当に金が欲しいのか疑いたくなってくる。
狂気と欲を合わせ持つサイコな殺人鬼にしては些か説明不足、中途半端な具合だが、
しかし劇中のいくつかのシーンを見ていくうちに、この中途半端がなんなのかわかってくる。
つまるところ男の存在は現実の子どもたちにとっての恐怖の象徴をしているのだ。
夜、子ども部屋に迫る大きな影。これを少年ジョンは「ただの人だ」という。
逃亡した先の納屋に現れたハリーを見てジョンは「あいつは寝ないんだ」という。
影のシーンは空想の恐怖を打ち消すように「あれは○○だ」と考えようとするのは
現実の子どももよくやることでしょう(少なくとも筆者はそうだった)
そして納屋のシーンは、ただの人間であるはずの牧師が一転して、怪物染みて見える。
現実の恐怖が空想の恐怖へと切り替わっているのだ。これは子どもでなくても、
見慣れているはずの場所が夜になるとまるで違う場所に見えるのと同じこと。
目に見えるものと目に見えないもの、現実と空想の狭間に、子どもは恐怖を見出す。
この中途半端さが、この男を怪物的存在へと変えているのだ。
彼以降ではないだろうか、得体の知れない悪党が出始めたのは。
もちろん後のサスペンス映画に与えた影響は大きく、彼を演じたロバート・ミッチャムは
「恐怖の岬」にて、インスパイアされたと思しき「正義と真実」の刺青を持つ男を演じました。
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